相手の心を素直に受け止める「聴く人」は、他者に共感する「聡明な人」・・・2009年9月28日 名字の言   

2009年 09月 28日

 漢字の「聞」「聴」は、きく側の態度によって使い分ける。自分からきく場合は後者、自分に音声が入ってくる場合は前者。だから「きこえる」は「聴こえる」とは書かない

 昨今は「聴く」という行為が減っている感がある。話を聴かない、聴こうともしない人も少なくない。また親密な間柄の人に限って「もう分かっているから聴く必要はない」と決めつけてしまいがちだ

 「聴」の字は、本来の字義とは別に字形から「『十四の心に耳を向ける』と読むことができます」――子どものギャク待防止プログラムを提唱し、その専門職を育成する森田ゆりさんは語る(「大白蓮華」9月号)。聴く作業は、相手の心を素直に受け止めること。それは子どもだけでなく、人間社会に不可欠である▼池田名誉会長はアメリカの哲学者マリノフ博士との対談で、「相手を尊敬し、心から耳を傾ける『対話』」こそ「『他者不在』と言われる現代社会において、一人ひとりが我が身にあてて実践していくべきこと」と訴える

 「聴」の旧字は「聽」。耳、壬、<徳のしたごころの上に「一」を加えた文字>(徳)の旁で構成される。真っすぐ立つ人(壬)の上に大きな耳を加えて耳の聡明さを示し、「聡明の徳」をいう(白川静『字通』)。「聴く人」は、他者に共感する「聡明な人」である。(川)

2009年9月28日 名字の言 聖教新聞

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