一つ一つの心ある言葉のキャッチボール・・・ 2006年12月24日 名字の言   

2006年 12月 24日

「子どもとの会話が、“キャッチボール”ではなく、“ドッジボール”になっていませんか?」。ある講演会での問いかけである ▼キャッチボールは、相手に捕りやすい球を投げ、相手からの球は両手でしっかりと捕球しようとする。一方、ドッジボールは、どれだけ捕りにくい球を相手にぶつけるかが勝負。そして、球が飛んでくると、さっと身をかわす。別名「避球」。慌ただしい朝など、まさにドッジボールの応酬だったかと、反省しきりの一時だった▼ところで、法華経方便品には、仏こそ、会話のキャッチボールの名手であることがうかがえる。衆生の悩みに応じては、教えを巧みに説き、言葉も柔らかで、衆生の心を喜ばせた、と▼なぜ、そうできたのか。釈尊は、仏は豊かで深い智慧、つまり妙法を持ち、相手の幸福を願い切っていたからだと述べている(『法華経方便品・寿量品講義』)▼いま社会には、人に斬りつける凶器のような言葉、甘いだけで気力を奪う鈍器のような言葉があふれているように思う。その中にあって、友の幸せを祈り、言葉に勇気と希望を添える「対話」は、労作業といえよう。が、その一つ一つの心ある言葉のキャッチボールこそ、社会を変えていく基礎になる。(申)

2006年12月24日 名字の言 聖教新聞

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