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「自他共の幸福」人に尽くしてこそ、自分の生命が開花する・・・2007年11月30日 名字の言   

2007年 11月 30日

 地域部の研修会での活動報告を聞き、感動した。地道な貢献の活動を展開するメンバーに頭の下がる思いがした

 商工会女性部の副部長は、海岸の清掃や花いっぱい運動に尽力。「自発能動の気持ちで、陰の労苦をいとわず頑張ります」。女性センターの役員を務める婦人は、市の行事の参加を通してアジア各国と交流。「あの人に任せれば大丈夫と言われるように」と決意を語る

 公民館主事の壮年。「これからは高齢者の心をいかにつかむかです」と、心を砕いて老人会活動等に励む。区保護司会の会長の壮年。一人の更生のために力を尽くし、「どこまでも信じ抜いて接することです」。いずれの報告も、わが地域の幸福を祈り、行動している

 「人に尽くしてこそ、自分の生命が開花する」とは、池田名誉会長のスピーチである。他者への献身を通してこそ、本来の自分を大きく開くことができる。広宣流布は、「自他共の幸福」の建設である

 法華経には「一日であっても、何億万年の長さに広げて生きることができる」(趣意)と説かれる。地域の安穏と発展、そこに暮らす人々の幸せを祈り、行動する一日一日の学会活動ほど尊いものはない。その一日は、未来へ、世界へと、限りなく広がる。(敬)

2007年11月30日 名字の言 聖教新聞

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「力いっぱい今を生きる」戦って、戦い抜いて生きていく・・・2007年11月29日 名字の言   

2007年 11月 29日

 「大造じいさんとガン」「片耳の大シカ」……だれもが一度は読み親しんだ童話作家の椋鳩十の物語。今、子どもが夢中になっている

 確かな観察力と丁寧な取材で描き出した動物の生態や習性。その描写には、子どもだけでなく、大人でさえも新鮮な発見がある

 作品が魅了され続ける理由は、それだけではない。氏は息を引き取る直前まで、子どもたちの心に残る作品づくりに没頭した。「まだ書くぞ。キラキラしたものを書きたい。まだ死ねん」

 氏のモットーには、こうある。「力いっぱい今を生きる」。“今”を懸命に生きるからこそ、“明日”が開ける。その作者の生き方や姿勢が、作品の底流に流れているからこそ、読み継がれるのだろう

 池田名誉会長と何度も語り合った中国の文豪・巴金氏の言葉も心に残る。文化大革命の受難の十年、精神的拷問と卑劣な人身攻撃を受けた。苦悩のどん底で、唯一考えたことは、「戦って、戦って、戦い抜いて生きていく」ことだった

 次の時代に残っていくのは、こうした「師子奮迅の力」で築き上げたものだけだ。「中途半端」は、何も生まない。課題を「後回し」にすることなく、現在の一瞬一瞬に、全生命を燃焼させて、広布第2幕を先駆しよう。(葉)

2007年11月29日 名字の言 聖教新聞

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一つ一つの対話が慈雨を降らせる「種」となる・・・2007年11月28日 名字の言   

2007年 11月 28日

 「何だ下らない。それじゃ丸で雲を掴むような予言だ」(夏目漱石『明暗』)。この通り、「雲をつかむよう」と言えば、とらえどころのないこと。半径0・01ミリから0・1ミリの微小な水滴や氷晶の集まりである雲は、つかみようがないところからきている

 その「雲」をつかまえて、「雨」を降らせる実験が始まる。気象庁の気象研究所が来夏、四国で人工降雨の実験を開始すると発表したのだ

 雲粒と雨粒では、雨粒の方が体積が100万倍、大きい。飛行機で雲の上を飛び、ドライアイスなどの小さな粒を蒔く。すると、それが「種」となって周りの水蒸気を集め、雨粒となって降ってくる。今夏、水不足に悩まされただけに成功への期待が高まる

 仏法では、「智慧の雲」が無量無辺の法の雨を降らし、真理をもって一切を覆うと譬える。“全人類を救いたい”との菩薩の誓願と実践こそが、慈雨を降らせる「種」となる

 「この世から悲惨の二字をなくしたい」。戸田第2代会長の叫びを、わが心として、平和のため、友のために尽くし抜き、恩師の悲願を現実にする池田名誉会長。友好を築いた識者は「7000人」を超える。その一つ一つの対話が「種」となり、慈雨となって今、民衆の大地を潤している。(高)

2007年11月28日 名字の言 聖教新聞

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「信じられているから」自分が今、どんな苦境にいようとも・・・2007年11月27日 名字の言   

2007年 11月 27日

 エレベーター30秒、パソコンの起動1分、レジ3分、通勤電車の遅れ5分、メールの返信30分、病院の診察30分……「どのくらい待たされるとイライラしますか」と尋ねて、一番多かった回答だ(シチズン意識調査)

 世の中が便利になって、「待たないですむ社会」が来たら、人は「待てない」ようになったのだろうか

 師・釈尊は待っていた。弟子・普賢菩薩の到着を。法華経の会座でのことだ。すでに、28品のうち27品を説き終えていた。法華経の説法も終わろうとするその時、普賢菩薩は、万億の伎楽(舞と音楽)を奏で、無数の諸天善神を率いて馳せ参じた。そして、末法の法華経の行者を守護することを真剣に誓った。その姿を釈尊は、先の上位の菩薩よりも手厚くほめ讃えた

 弟子の到着を、師は信じ、待っていたからこそ、“大遅刻”を叱らなかったのではないだろうか。そして、法華経の行者を守護する誓いに、その「真実の心根」を見、賞讃したに違いない

 創価の世界にも、自分が今、どんな苦境にいようとも、その成長を信じ、励ましを送り、待っている師がいる。『走れメロス』で、友が待つメロスは叫んだ。「信じられているから走るのだ」。青年よ、走れ! 偉大なる師のもとへ。(香)

2007年11月27日 名字の言 聖教新聞

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“皆、同じ人間”その思いが、平和を築く土台になる・・・2007年11月26日 名字の言   

2007年 11月 26日

 先のSGI研修会の折、アフリカ4カ国のメンバーが、東京の会館を訪問。未来部員との交流に心をはずませた

 地元の少年少女合唱団との懇談では、子どもたちから「池田先生って、どんな人?」と、本部幹部会での出会いの感想を求められたSGIの友。「人生の素晴らしいお手本。私にとっては憧れの人です」と。どの子も一言一言に、うなずき、目を輝かせた。「どんなに遠く離れていても、求める心があれば、心はつながっていると思いました」。質問した子は、そう感想に綴った

 もちろん、初めて出会う外国人に戸惑いを隠せない子も。が、「握手をした時、その手の大きさ、暖かさに学会の世界の広がりを感じました」「国や言葉が違っても、池田先生が人生の師匠。皆、同じだと思いました」と

 肌の色も話す言葉も違う。だが、自分とは異なっていると思った人の中に、自分と同じものを見つけた時、それは、かけがえのない財産となる。“皆、同じ人間”。その思いが、平和を築く土台になるのは間違いない

 私たちも交友が広いようでも、日ごろお付き合いする人間関係は、どうしても限られてくる。求めてこそ“新たな出会い”は生まれ、“人間関係の革命”から、人間革命も始まる。(陸)

2007年11月26日 名字の言 聖教新聞

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政治に情熱・闘志・哲学は不可欠。名も無き「一人」を断じて守らん・・・2007年11月25日 名字の言   

2007年 11月 25日

 集会で気勢を上げる。弁士の雄弁に、聴衆は沸き立つ。が、家へ戻って一人になると、空しい気分に包まれがち。官憲の切り崩しも、そこが狙いであった

 それゆえ田中正造は演説会が終わると、すぐ懇談会をもった――。城山三郎著『辛酸』は、民衆の機微に触れる正造の戦いぶりを描いている

 足尾銅山の鉱毒で、栃木県谷中村は衰亡の危機にあった。正造は衆院議員の職をなげうち、村民の救済に生涯を捧げる。時は日露戦争のさなか、国家と財閥を向こうに回しての戦いであった。村民一人一人に注ぐ優しさは、権力への怒りと、表裏一体と言える。その闘志を支えたものは何であったか

 晩年、正造は聖書に親しむ。それが、すべての苦難を自らの糧とする力となった。座右の銘は「辛酸佳境に入る。楽また其の中に在り」。名も無き村民を断じて守らんとした正造の、たぎらんばかりの情熱は、やはりたくましい宗教性を帯びている

 同時代の米国詩人ホイットマンは、万人のなかに等しく“内なる光”を認めるには宗教的な感性が欠かせないと考えた。だから彼は、新世紀への理念を「宗教的民主主義」と名付けたのだ

 政治に哲学は不可欠。「一人」を守る宗教的情熱に基づく政治を、国民は望んでいる。(順)


2007年11月25日 名字の言 聖教新聞

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一人一人が生きていくうえで、何に喜び幸福を感じるか・・・2007年11月24日 名字の言   

2007年 11月 24日

 「昔な、秋田の国に、八郎って山男が住んでいたっけもの」――小学生が演じた劇「八郎」に、胸が熱くなった

 心優しい山男・八郎は、家一軒ほどの大男。ある日、浜で幼い男の子が泣いていた。海が荒れて村の田んぼが潮水をかぶってしまう、と。そう聞くと、八郎は山を動かし波をせき止めた。が、海は一段と荒れ狂い、田んぼに押し寄せてきた

 ついに、八郎は体を張って、自ら海へ。波を押し返しながら叫んだ。「分かったァ! おらがなして今までおっきくおっきくなりたかったか!」「こうしてみんなのためになりたかったなだ」と(『八郎』斎藤隆介・作)

 金もうけにまつわる不祥事が絶えない。偽証、偽装、不正……。創業時は、他人に喜んでもらえる良い品物を、と努力を重ねていたに違いない。代を重ねるごとに、その精神を忘れてしまったのか。そう問わずにはいられない

 生きていくうえで、何に喜び幸福を感じるか。日蓮大聖人は「喜とは自他共に喜ぶ事なり」(御書761ページ)と仰せである。自分の持てる力を発揮して社会のために尽くす。ここに“自他共の喜び”が生まれる

 一人一人が、今なぜ大きく力をつけ、成長していかなければならないのか。その答えも、そこにある。(濤)

2007年11月24日 名字の言 聖教新聞

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挑戦―応戦―また新たな挑戦というふうに続いてゆく・・・2007年11月23日 名字の言   

2007年 11月 23日

 13歳で真剣勝負に勝って以来、60を超える戦い、すべてに勝ち続けた宮本武蔵。彼は『五輪書』にこう書き残す。「ゐつくはしぬる手也。ゐつかざるはいきる手也」

 「太刀のあつかい方にせよ、持ち方にせよ、居着く(固定する)ということを嫌う。居着くということは、死ぬことである。そして、居着かない(固定しない)ということは、生きることだ」と。敵に対しては、あらゆる変化にも対応する用意がなければならないということだ

 変化をなくしたら、それは惰性であり、停滞である。水に例えれば、流れない水は腐るが、常に流れている水は新鮮で腐敗しない(桑田忠親著『五輪書入門』)

 人生にも通じる教訓である。青年であっても、挑戦の息吹を失えば、それは停滞というより、後退であろう。一方、何歳になろうとも、はつらつと挑戦し続ける人は、生き生きと輝いているものだ

 トインビー博士は記している。「挑戦―応戦―また新たな挑戦というふうに続いてゆくのが生きていることの本質」(長谷川松治訳『歴史の研究I』)と。人生は連続闘争だ。試練との戦いがあるからこそ、喜びも大きいし、充実もある

 『五輪書』には「今日は昨日の我に勝ち」とも。さあ、今日も成長の一日に。(心)

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「人の振舞」自身を見つめ直すことができた喜び・・・2007年11月22日 名字の言   

2007年 11月 22日

 学会伝統の「教学部任用試験」が今月25日、全国で実施される。会合での講義や一対一の学習など、受験者のさまざまな状況に応じた勉強会が、日本の津々浦々で行われている

 ほとんどの受験者にとって、任用試験は仏法哲学を深く学ぶ最初の機会である。一方で、男子部のあるリーダーは「受験者とともに勉強するたびに、毎回、襟を正す思いです」と。日蓮大聖人の魂により深く迫り、自身の信心を見つめ直すことができた喜びを、率直に語る

 教学をともどもに学ぶことは、そのまま、広布の人材育成となる。眠い目をこすりながら教わった、その中身の記憶は、やがて薄れたとしても、誰が横にいてくれたかは、ずっと覚えている

 51年前の「大阪の戦い」。池田名誉会長は任用の筆記試験の前夜、最後の最後まで大阪での質問会で激励を重ねた。受験者のみならず、友の一人一人の心肝に、不可能を可能としゆく「法華経の兵法」を染みこませる戦いだった

 今回の試験範囲に、釈尊が仏法を説いた目的は、「人の振舞」(御書1174ページ)と。受験者の健闘を祈り、支える方々の尊い行動こそ、最高の「人の振舞」に違いない。試験まで、あと3日。受験者の皆さんと一緒に成長する機会としたい。(行)

2007年11月22日 名字の言 聖教新聞

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「喜とは自他共に喜ぶ事なり」自身をみつめ、発見し、成長していく・・・2007年11月21日 名字の言   

2007年 11月 21日

 長めの原稿を書くには事前にプロット(構成)が必要だ。だが、プロットに忠実な文章が案外つまらない場合がある

 反対に、プロットを一度胸におさめて、思うままに書き出してみる。書いた文に引っ張られ、新しい考えが浮かぶ。書き進むうち事前に想像もしなかった文が出来上がる――手応えを感じるのはそんな時だ

 著述家の内田樹氏は、この感覚を、対話の醍醐味と同じものと説明している。そして、対話のなかで「見知らぬ、しかし、懐かしいことば。そういうことばが口をついて出てくるとき、私たちは『自分はいまほんとうに言いたいことを言っている』という気分になります」(『先生はえらい』)と。すべるように筆が進んでいる時、人は「題材と対話している」訳だ

 対話とは、ただの伝達手段ではない。自分も相手も「自身をみつめ、発見し、成長していく」喜びの中に対話の醍醐味がある。仏法が、自己の内面しか見つめない「二乗」の生き方を否定したのも、人間は、他者との「全人格的な対話」を通じてこそ、自身を変革していける存在だからであろう

 御聖訓に曰く(御書761ページ)。そんな喜びと充実の対話で、創立77周年の秋を飾っていきたい。(飛)

2007年11月21日 名字の言 聖教新聞

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