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勝負は10年見なければわからない。誓ったことを破ってはいけない・・・2009年1月15日 名字の言   

2009年 01月 15日

 40年前、池田会長(当時)は、1枚の写真を目にした。部員会に集った東北の中等部員が写っている。即座に伝言。「10年後に必ず会おう」

 1979年(昭和54年)1月、東北を訪れた会長は、約束通り、彼らと会う。「勝負は10年見なければわからない。誓ったことを破ってはいけない。ここが大事なんだ」

 なかに創価大学4年生のメンバーがいた。すでに就職先も決まっていた。だが、10年越しの約束を果たし、全力で青年を励ます師の姿に心が動いた。「かねてからの夢だった教師になり、未来ある子どもたちの育成に人生をささげたい」

 師に新たな誓いを立てた。卒業後、働きながら、学んだ。その直後だった。会長勇退。本紙から師の姿が消えた。それでも「私の心から、池田先生を消せはしない!」と、誓いを貫き、5年後、教壇に。現在、小学校教頭で活躍する

 「約束というのは、たがえないということである」(御書1512ページ、趣意)と御聖訓。全幅の信頼を置き、弟子の成長を待つ師。その期待に、全人格を懸けて応える弟子の生きざま。この「師弟勝利の原理」を師が教えた時、彼は中学生だった。鉄は熱いうちに鍛え打ってこそ、真の剣になる。きょう15日は「中等部結成記念日」。(城)

2009年1月15日 名字の言 聖教新聞

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「心に太陽を持て」人生のあらゆる事が自身の宿命転換と成長への糧・・・2009年1月14日 名字の言   

2009年 01月 14日

 ドイツの詩人に、こんな作品がある。「心に太陽を持て。/あらしが ふこうと、/ふぶきが こようと/天には黒くも、/地には争いが絶えなかろうと、/いつも、心に太陽を持て」(山本有三訳『心に太陽を持て』ポプラ社)。どんなときも、明るく力強く生きよとの呼び掛けだろう

 一説に、地上に降り注ぐ太陽のエネルギーは、1時間足らずで、人類が1年間に使うエネルギー量にも匹敵するという。古来より人類にとって太陽は、豊穣の象徴であり、恐怖の対象でもあった。多くの恵みを施す一方、強烈な熱で人間を滅ぼしかねないと信じられていた。それほど太陽の力は大きいのだ

 心に太陽を持つとは、“強烈な太陽を心に持てる、強い自分自身をつくれ”との意味もあるのではなかろうか。私たちは自身の生命に、大きな可能性を秘めている。それをどれだけ発揮していけるかが、人生の勝負。その原動力こそ信心である

 「妙法を根本とするとき、人生の幸、不幸のあらゆる出来事や行動は、一切が自身の宿命転換と成長への糧となっていく」と池田名誉会長は語る。人生の雨も嵐も、自身の太陽を一層、輝かせる縁としていきたい。皆、心に太陽は持っている。要は、それを輝かせる勇気を持つことだ。(申)

2009年1月14日 名字の言 聖教新聞

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「奉仕の精神」与えられたものよりも、より以上のものを世の中に・・・2009年1月13日 名字の言   

2009年 01月 13日

 小説『新・人間革命』に綴られている松下幸之助は、言わずと知れた「経営の神様」。だが、この呼ばれ方に、本人は迷惑そうであった。経営の秘訣を尋ねられても、「まるで、私が経営の神様か、金儲けの天才でもあるかのような質問ぜめである」と

 では、彼の経営哲学の根本は何であったか。それは「奉仕の精神」であった。「社会から自分に与えられたものよりも、より以上のものを世の中に与えかえす」(『松下幸之助実語録』潮出版社)――この姿勢を貫けば、社会も、会社も、社員も必ず繁栄し発展する、との確信である。それを実践に移した結果、成功を収め、皆から模範と仰がれる存在と輝いたのだ

 種々の事業を手掛けた戸田第2代会長も、「商売は社会への奉仕である」と言った。「世のため、人のため」を意識するのは、仏法の利他の精神にも通ずる行為であろう

 経済環境の悪化で、経営者も労働者も厳しい中、企業の社会的責任は重さを増す一方である。もちろん、国家の最高経営首脳ともいうべき政治家こそ、危機克服に全力で知恵を絞り、実行することが強く望まれる

 経営の神様ならぬ経営の達人は、“不景気は好機”とも言い切った。民衆の幸福のため、今こそ衆知を結集する時だ。(杏)

2009年1月13日 名字の言 聖教新聞

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「成人の日」20年間の慈愛と努力の結実の日でもある・・・2009年1月12日 名字の言   

2009年 01月 12日

 突然の夕立に身重の女性が、おなかをかばうように並木の下で雨をしのいでいた。そこへ赤信号で止まった車の助手席から、青年が傘を手に駆け寄った。女性が会釈をして受け取ると、青年は小走りで車へ。この光景を見ていた他のドライバーたちは、優しいクラクションで、青年の行為を称えた

 「そんな人たちの真心に包まれて、お母さんは僕を産んでくれました」。ある少年から聞いた話だ。聞けば、あの青年は傘を差し出す際、「今月、僕も父親になるんです」と笑顔で語ったという

 人は皆、命を見詰めれば、優しくなれる。その慈愛が、縁する人々の生命を支えはぐくむ。きょう12日は「成人の日」。1949年に国民の祝日となり、本年は60周年。133万人が晴れの日を迎えた。成年に達したことを祝い、励ますこの日は、多くの人が新成人の命を守り、育て続けた、20年間の慈愛と努力の結実の日でもある

 日蓮大聖人は「恩を知ることを最高とし、恩を報ずることを第一としてきた」(御書491ページ、通解)と

 きょうの“門出の日”を迎え、一回り大人になった青年部の友も多かろう。信心根本に成長の実証を示すことこそ、これまでお世話になった人たちへの報恩の道と、決意の一歩を踏み出そう。(城)

2009年1月12日 名字の言 聖教新聞

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「うぬぼれ」本人も気づいていない、命の底に巣くう傲慢さ・・・2009年1月11日 名字の言   

2009年 01月 11日

 牧口初代会長が、獄中で精読したカントは、人間が陥りやすい究極の、かつ見分けがたい「悪」を考察した。我執(エゴイズム)が「うぬぼれ」となって現れるときである

 弱者の味方のような顔をして、世間の喝采を浴びながら、ひそかに自らの名誉欲を満たす。なまじ賢く如才ない、そうした連中を、カントは忌み嫌ったという(中島義道著『悪について』岩波新書から)

 仏法で説く「僣聖増上慢」の姿にも似ている、と思われてならない。僣とは“ワル賢い”との意。聖者のように振る舞うものの、内心は狡猾で、名聞名利を求めてやまない

 このような計算高い「うぬぼれ」に、どう対処するか。カントは「たたきのめす」しかないと考えた。理詰めの訓戒などで、片が付く代物ではないからだ。“自分はこれだけやっているのだ”という、おそらく本人も気づいていない、命の底に巣くう傲慢さ。それを厳しく打ち破ることができるのは、やはり「師匠」をおいてほかにない

 師の叱咤激励は、弟子たちをして「もっと偉大な、もっと尊高な力」に気づかせ、「元初の師弟の誓い」に目覚めさせるため(「随筆 人間世紀の光」6日付)――創価三代の師弟の道こそ、無上にして未曾有の「人間の道」である。(英)

2009年1月11日 名字の言 聖教新聞

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